がく

音楽と歌詞のみで、この場所を神を迎える場所として設定する神楽

歌詞

幣の立っている、この場所も高天原(たかまがはら)であるので、集まりなさい四方の神々
神代の昔から現れて神の威力を人間に知らそう
神代の昔から3種の宝が備わっていて、豊葦原の象徴になる
神は神社にいて、神楽の楽を聞いてください
この注連(しめ)は天岩戸(あまのいわと)の開いた時から、我々も注連をかけて現在に至る。


先祓さきばらい

儀式三番の能の一つ。天孫降臨の神話、猿田彦大神が天孫を迎える故事による能で、島前神楽においては一番最初に現れる神(面をつけた舞い)なので「一番だて」ともいう。猿田彦は「おお吾は是れ八重のちまたにすむ猿田彦大神なり、我先だって悪魔祓わんその為に神体ここに現れたり」と言立、早拍子に変わる。後には扇の舞に移って、とにかく最も派手見せする舞である。

口上

「私は猿田彦大神(さるたひこのおおかみ)である。私が先頭になって悪魔をしりぞけるために、ここに現れたぞ」

先祓(さきばらい)

幤舞ぬさまい散供さんぐう

この場所を神を迎える場所として設定する神楽の舞

式の神楽 前座の舞の一つで散供(さんぐう)とも呼ばれている。左手に御幣、右手に鈴を持って舞う。散供とも呼ばれるように、舞の中で五方に米をまく所作がある。この舞のいま一つの特徴は「・・○○神社祭礼に奉納するもの也・・」というように、舞人が口上で神楽奉納の主旨を述べる事にもある。いずれにせよ、前座である素面の舞は以後現れる神達の場を清める役目を果たす。

歌詞

幣の立っている、この場所も高天原(たかまがはら)であるので、集まりなさい四方の神々
東を拝めば神が降りる。諸々の神も花の様に美しく見える
神代の昔から3種の宝が備わっていて、豊葦原の象徴になる
南を拝めば神が降りる。諸々の神も花の様に美しく見える
昔から天照大神の教えでは、人の生命を守るために邪悪を祓います
西を拝めば神が降りる。諸々の神も花の様に美しく見える
神の道は色々あるけれど、真ん中の道は神に通じている
北を拝めば神が降りる。諸々の神も花の様に美しく見える
五十鈴川(いすずがわ)の清い流れが速ければ諸々の罪は残らない
中央を拝めば神が降りる。諸々の神も花の様に美しく見える
この場を清める者は神を守る者、山の榊・海の塩
黄龍を拝めば神が降りる。諸々の神も花の様に美しく見える
陰陽・陰陽この注連を誰のところにとどけよう

口上

「神様に謹んで申し上げます。 平成18年6月3日月の数、日の数は多けれども今年今月今日の吉日の良い時を選んで申し上げます。ですから今晩の神楽の主旨は『晋州タルチュムフェスティバル』の祝祭のために、公演するというものです。 この様な理由によって、この場を斎場とし舞台を飾り備え物を捧げて清らかな高天原といたします。 ですから神主は米と幣を捧げて拝礼いたします。真剣に耳を傾けて神のご加護を願い、神の力に全ての人々が満足することでしょう。 そもそも散供の起源は天津日高彦彦火邇々尊(あまつひだかひこひこほににぎのみこと)という神様が主人として豊葦原に降りてきた時、日向(ひゅうが)の国高千穂(たかちほ)の峯において雲や霧が深くて暗かったので、天の神からさずかった稲の穂を空中にまき散らしたら、それによって周囲が明るくて見通しが良くなりました。 この様な儀礼の起源によって、今でも周囲の汚れや罪をはらいしりぞけるための散供(米をまき散らすこと)でございます。 ですからその後、海は静かになり、風もおだやかになり、国土も平和に治まって、いつまでも繁栄する事を疑う人はおりません。」

幤舞(ぬさまい)・散供(さんぐう)

市切部いちきりべ

式外の神楽の一つ。戦の神である建雷之神が戦の話を胴の曲打ちで語る舞である。市切部では先ず舞の名人である木花佐久夜姫(このはなさくやひめ)が現れて舞を見せ、それに対して戦の神である建雷之(たけいかずち)神が戦の話を胴の曲打ちで語る舞である。切部は島前神楽では珍しく胴の曲打ちで名人芸を見せる能であり、この場面が来ると誰しも拍手を送りたくなる。

歌詞

この場所に現れる神こそ、世界の始まりです
今夜は雨降るな、風も吹くな神を招くから
この場を清める者は神を守る者、山の榊・海の塩
五十鈴川(いすずがわ)の清い流れが速ければ諸々の罪は残らない
神代の昔から3種の宝が備わっていて、豊葦原の象徴になる
陰陽陰陽、乙女は誰のところに
雲をかき分けて下った神を私は迎える
アッサンヤサンヤと晋州の雲をかき分けて下った神を私は迎える
ここで舞って遊べ、そして自分の名前を告げなさい
上手な舞だから天にいるヒルメの神も出てくるのを少し待ってください
サラサラと舞ってください
実になる花もアッサンヤサンヤと、この神楽が神の所へ、伊勢の神社へ、ここの神の場所へ見守ってください。
サラサラと舞ってください

口上

「こんなに舞の上手な神は、何という神だろう。なんと神楽の儀式は面白いものだ。では私もやってみよう。」

口上

「思い出して波が繰り返す様な太鼓を打って、ここは清らかになった。」

市切部(いちきりべ)

神途舞かんどまい

この場所を神を迎える場所として設定する神楽の舞

歌詞

幣の立っている、この場所も高天原(たかまがはら)であるので、集まりなさい四方の神々
東を拝めば神が降りる。諸々の神も花の様に美しく見える
神代の昔から3種の宝が備わっていて、豊葦原の象徴になる
南を拝めば神が降りる。諸々の神も花の様に美しく見える
昔から天照大神の教えでは、人の生命を守るために邪悪を祓います
西を拝めば神が降りる。諸々の神も花の様に美しく見える
神の道は色々あるけれど、真ん中の道は神に通じている
北を拝めば神が降りる。諸々の神も花の様に美しく見える
五十鈴川(いすずがわ)の清い流れが速ければ諸々の罪は残らない
中央を拝めば神が降りる。諸々の神も花の様に美しく見える
この場を清める者は神を守る者、山の榊・海の塩
黄龍を拝めば神が降りる。諸々の神も花の様に美しく見える
陰陽・陰陽この注連を誰のところにとどけよう

神途舞(かんどまい)

八重垣やえがき

本来は葬祭の能であるが、現在は一部改作されて式外の能として舞われている。八重垣は「八街の大蛇」の神話に因んで素戔嗚尊(すさのおのみこと)と稲田姫(いなだひめ)、翁、大蛇(おろち)の物語である。出雲・石見神楽の様に大蛇がリアルでもなく、また見物人との掛け合いやハプニングも起こらない型どおりの能である。型どおりの能は島前神楽の特徴でもあり、その辺は他の神楽の「大蛇退治」と比較すると解りやすい。もう一つの特色は島前神楽の大蛇は終始暖簾から出ずに中腰のまま舞うことでもある。

歌詞

八雲立つ 出雲八重垣妻籠めに 八重垣作る その八重垣を(古事記・日本書紀 短歌)
不思議に、ここに泣く声がする。周りも騒々しいが、ここにスサノウの神現れたり

口上

スサノウ「誰が悲しんでいるんだ」
テナヅチ「私は地方の神のテナヅチ。妻はアシナヅチと申します。私たちは以前には8人の娘がありましたが、ヤマタノオロチに毎年食われ、今年はまたこの娘(クシイナダヒメ)を取られて食われそうなのでなげいております。」
スサノウ「あわれな話だが、そのヤマタノオロチはどんな所に住み、どんな姿をしているのか」
テナヅチ「ヤマタノオロチが住む所は常に雲に閉ざされ、頭が8つ、尾が8つ。いろんな山や谷を這いまわり、背中には木が生えており、目は赤く光って、それは恐ろしい姿をしております。」
スサノウ「世の中には、すごい怪物もいるものだ。それなら娘と結婚させてくれるなら、ヤマタノオロチを退治しようと思うが、いかがであろう」
テナヅチ「はい、妻と相談してお応えいたします。スサノウ様がおっしゃる通りに娘と結婚させるのは、どうでしょう」
アシナヅチ「そうは言われますが、まだお名前が解りません。名前を教えていただけませんか」
スサノウ「私は天照大神の弟のスサノウである」
テナヅチ・アシナヅチ「その様な尊い人なら、異議はございません」
スサノウ「それなら、ここに藪をつくり、酒を用意してください」
テナヅチ・アシナヅチ「かしこまりました」

八雲立つ 出雲八重垣妻籠めに 八重垣作る その八重垣を

神も嬉しくなって、舞ましょう。

八重垣(やえがき)1 八重垣(やえがき)2

神戻しかんもどし

音楽と歌詞のみで、この場所から神を帰す神楽
島前神楽は「寄せ楽」という楽だけの演奏から始まったのであるが、最後にも「神戻し」といって楽だけで終わる。始まりの時刻は夏の時季なのでまだ薄暗さが残っているが、全番組が終わる頃には深夜に至り、見物人も足早に去っていく。なお、楽だけで、御輿に供奉する事を「道中神楽」といい、隠岐島前の例大祭には欠かすことの出来ない音の祭気分を醸し出している。

歌詞

今いる神々は戸を開け
私は鹿島の神だが悪神はどうにもできない
五十鈴川(いすずがわ)の清い流れが速ければ諸々の罪は残らない
東・西・南・北・中央・黄龍の神を祈れば、全ての神々はお帰りください。
これで、全ての者は清められました。


神子舞みこまい

神子舞(みこまい)